中学生の国語で記述が書けない子に、「自分の言葉で書いてみなさい」と言っても、たいてい止まります。
考える力がないからではありません。
何を先にやればいいか決まっていないまま、いきなり書かされているからです。
国語のワークを開いて、記述問題で止まる。「本文に書いてあるでしょ」「自分で考えて書いてみなさい」と言う。子どもは黙る。少し書く。丸にならない。よくあるのはこの流れです。親から見ると、読んでいないようにも見えますし、考えるのをさぼっているようにも見えます。だから、ついもう一回考えさせようとします。でも、その押し方で動ける子ばかりではありません。
「書けないのは、考える力が足りないからだ」といてしまうのは誤りです。実際に足りないのは、考える力ではありません。書き方の練習です。正確に言えば、「答えをどう作るか」の練習です。本文のどこを使うのか。何を先に書くのか。どこまで書けば足りるのか。この三つが曖昧なままでは、毎回その場しのぎになります。
記述で必要なのは三つだけです。設問を見る。本文から使う場所を決める。その内容を一文にする。ここでの解き方が定まっていない子は、毎回その場で迷います。だから手が止まります。しかも、止まるのは書く瞬間だけではありません。本文を読んでも「どこを使えばいいか」が分からない。見つけても「どうつなげれば答えになるか」が分からない。だから、短すぎる文になるか、本文をそのまま写しただけの文になりやすいのです。
難しいのは、親が答えを知っている側だからです。見れば分かる。読めば拾える。だから「なんで書けないの」と感じやすい。でも子どもの側では、設問の条件を見て、本文から必要な部分だけを拾い、それを一文にまとめるところ、それぞれでつまずいています。ここを飛ばして「ちゃんと考えて」と言っても、本人には作業の入口が見えていません。入口が見えていない子に努力を求めても、止まる回数が増えるだけです。
塾で進めているのは、「どの問題で止まるか」「どこを本文から使うか」「どの長さなら書けるか」を明確にすることです。練習の基本は、書く前に本文の場所を探らせることです。いきなり書かせない。まず、どこを使うかを言わせる。次に、その内容を口で一文にさせる。それから書かせる。解答例と比較する。この順番に変えるだけで、空欄のまま止まる子はかなり減ります。国語の記述は、ひらめきで書くものではなく、手順で作るものだからです。
ここを放置すると、模試や実力テストでは、選択問題では取れても説明する問題で点が伸びません。秋以降の模試でも「読めているのに書けない」がそのまま残ります。結果として、国語だけでなく理科や社会の説明問題でも点を落としやすくなります。中学生のうちは、この差がじわじわ広がります。家で毎回同じ声かけをしているのに変わらないなら、見直すべきなのは本人の根性ではなく、やらせ方です。
国語の記述は、気合いで直る分野ではありません。どこで止まり、どう作れば書けるのかが決まった子から、少しずつ書けるようになります。








