中学生の国語で記述が書けない子に、「自分の言葉で書いてみなさい」と言っても、たいていそこで動けなくなります。考える力がないからではありません。何を先にやればいいか決まらないまま、いきなり書くところに行かされるからです。
国語のワークを開いて、記述問題になると進まない。「本文に書いてあるでしょ」「自分で考えて書いてみなさい」と言う。子どもは黙る。で、少し書くけど、丸にならない。だいたいこういう流れです。親からすると、読んでいないようにも見えるし、考えるのをさぼっているようにも見えます。
だから、もう一回考えさせようとする。けれど、その押し方で動ける子ばかりではありません。というより、そこで動けないから毎回同じところで詰まります。
ここで、「書けないのは考える力が足りないからだ」と見てしまうと、少しずれてしまいます。実際に足りていないのは、考える力そのものというより答えの作り方です。本文のどこを使うのか。何を先に書くのか。どこまで書けば足りるのか。このへんが曖昧なままだと、毎回その場で組み立てることになります。書ける日と書けない日の差も大きくなります。
記述でやることはそんなに多くありません。設問を見る。本文のどこを使うか決める。その内容を一文にする。流れにするとこれだけです。けれど、このどこかが抜けたままだと、急に書けなくなります。本文を読んでも、どこを使えばいいか決まらない。見つけても、どうつなげれば答えになるのか分からない。だから、短すぎる文になるか、本文をそのまま抜いただけの文になりやすい。
難しいのは、親は答えが見えるのに、それを説明できないところです。見れば分かる。読めば拾える。だから「なんで書けないの」となりやすい。けれど子どもの側では、設問の条件を見るところ、本文から必要な部分を拾うところ、それを一文にするところ、そのたびに引っかかっています。そこを飛ばして「ちゃんと考えて」と言っても、本人には何からやればいいのか見えていません。これでは、考えようとしても手が出ません。
塾でやっているのは、「どの問題で書けなくなるのか」「本文のどこを使うのか」「どの長さなら書けるのか」をはっきりさせることです。練習の基本も、いきなり書かせることではありません。
まず、どこを使うか言わせる。次に、その内容を口で一文にさせる。それから書かせる。最後に解答例と比べる。この順番に変えるだけでも、空欄のままになる子はかなり減ります。書く前の段階がはっきりすると、本人の中でも「何をすればいいか」が見えやすくなるからです。
ここをそのままにしておくと、模試や実力テストで、選択問題は取れても説明する問題で点が伸びません。秋以降になっても「読めているのに書けない」が残りやすい。そうなると、国語だけでなく理科や社会の説明問題でも点を落としやすくなります。記述は国語だけの話で終わらないことが多いです。
家で毎回同じ声かけをしているのに変わらないなら、見直したいのは本人の根性ではありません。進め方です。国語の記述は気合いで何とかなる分野ではありません。どこで書けなくなるのか。どう作れば文になるのか。そこが見えてきた子から、少しずつ書けるようになります。

