成績が危うくなると、親の目はどうしても教科に向かいます。英語がだめなのか、数学が弱いのか、理科か、社会か。点数表を見れば、そう考えるのは無理もありません。
ただ、本当に先に崩れているものは、紙の上には出にくいことがあります。家で勉強していないこと。親もまた、家で勉強させきれなくなっていること。問題は、案外そういうところから始まっています。
夜になると、家の中の空気に重さが出てきます。夕方のうちから少し気になり始め、ご飯のあとには、そろそろやらせないと、という思いが強くなる。スマホを見ている姿に落ち着かなくなり、声をかける。返事は鈍い。もう一度言う。机には向かっても、手が動かない。もしくは少しやって終わる。その夜が一度ではなく、二度三度ではなく、何日も続いていく。
親は消耗します。子どもも、勉強そのものより先に「また言われる時間」を嫌がるようになります。そうなると、もうつまずいている場所は教科の中ではありません。勉強の入口そのものが、家の中で詰まり始めています。
それでも何とか家で立て直そうとします。言い方が悪いのかもしれない。タイミングを変えればいいのかもしれない。もっと上手に声をかければ、今度こそ動くかもしれない。
けれど、そこにいる親はたいてい、十分に気にかけ、十分に声をかけ、それでもなお変化させられない日々の中にいます。足りないのは努力ではなく、家庭が引き受けている役割の重さの方なのだと思います。勉強を始めさせるところまで家の中だけで担い続けるのは、もともと無理が出やすいのです。
家は休む場所でもあります。学校の勉強や友人関係で受けた疲れをそのまま持ち帰り、気が緩み、スマホがあり、暖かい。その条件の中で、すぐ勉強に向かえる子ばかりではありません。とくに全部平均以下の子は、自分でもどこから手をつければいいのか見えていないことが多いものです。
見えていないから動けない。動けないから言われる。言われるからますます遠ざかる。そうして家の空気が少しずつ濁っていく。成績が悪いから揉めるのではなく、勉強できないまま過ぎていく日々が、成績も家の空気も一緒に下げていく。実際には、そういう順番で起きていることの方が多いように思います。
だから必要なのは、声かけの技術より、前提の置き直しです。家でやらせることを中心にしない。行けば勉強を始められる場所を持つ。やることを絞る。家庭では勉強を始めさせることまで抱え込まず、やったかどうかを見るところまでにする。仕組みが変わらない限り、夜は何度でも同じ形に戻ってきます。全部平均以下の子に必要なのは、家で全教科を回しきることではありません。まず、家で勉強しないまま日々が過ぎていく、その流れを切ることです。
これを後回しにすると、テスト前は提出物と小言だけで終わり、夏休みは宿題でまた揉め、秋には「勉強が嫌」よりも「勉強の話をされるのが嫌」が前に出てくる。そうなると、成績の立て直しより前に、家で勉強の話をする回路そのものが細くなってしまいます。点数が全部平均以下という結果だけを追っていると見落としますが、先に壊れているのは、家庭の中で勉強を回す仕組みの方です。
だから、塾での学習計画で決めるべきことも教科単元だけではありません。どこで始めるのか。どこまでを家の外に出すのか。親は何を手放すのか。家では何だけを見るのか。そこが決まるだけで、家庭の負担はかなり軽くなります。
毎晩、どうにかして始めさせることまでを親の役目にしないことです。家で勉強していない子は、教科を増やす前に、まず家庭だけで何とかしようとする形を終わらせた方がいい。たぶん、その方がずっと早く、勉強の話が前向きに動き始めます。

