成績より先に、「普通」が固定されていく

皆さん、いかがでしょうか。高校生は夏休み前の2回のテストで、中学生は今回の期末テストで、自分の立ち位置が決まってしまった感覚がありますよね。
自分の中の「普通」が固定される
そこで怖いのは、その立ち位置が自分のコンフォートゾーンになってしまうことです。
ここでいうコンフォートゾーンは、必ずしも満足している場所ではありません。嫌ではあるけれど慣れてしまい、「まあ、このくらいか」で受け入れられる範囲です。
60点が続けば、60点でも驚かなくなる。赤点ギリギリが続けば、「今回もこんなものか」と感じるようになる。成績が固定されるより先に、自分の中の「普通」が固定されていきます。
たとえば、前回と今回のテストが「赤点回避」で、そこでホッとしちゃった。そういうことであれば、おそらく来年も再来年も、赤点回避でホッとしている自分がいます。そんなもんです。
こうしてできた「赤点を回避できればいい」という普通は、並大抵の努力では変えられません。高校生だけではありません。大人でも難しい。
戦う相手は、同級生ではない
自分の中にできた「普通」を、自分で破る。これが「克己」です。
今から約2400年前、プラトンは『法律』の中で、人は自分自身の敵であり、自分に打ち勝つことが最初にして最善の勝利だ、という趣旨を語りました。
テストが返ってくれば、同級生の点数や順位が気になるでしょう。しかし、誰かの点数を見ても、自分の勉強時間は増えません。
ここから戦う相手は、同級生ではありません。「自分はこのくらいだ」と納得しかけている自分です。次も同じ点数で仕方がないと思うのか。もう少し上を目指して、今までとは違う行動を選ぶのか。変えなければならないのは、まず自分の中にできた基準です。
一人で自分と戦う必要はない
克己は難しい。自分の意志だけで毎日自分に勝ち続けるのは難しい。ただし、自分の敵が自分だからといって、一人で戦う必要はありません。
一人で勉強するときは、始めるかどうか、何をやるか、どこまで続けるかを、すべて自分で決めなければなりません。少し疲れていれば、「今日はやめておこう」と考える。スマホを一度開けば、勉強を始める時間が少しずつ遅くなる。そして、「明日やればいい」に変わっていきます。
これは、意志が弱い人だけに起こることではありません。
毎日、自分を説得して机へ向かわせるのは、大人でも難しい。だから、自分の意志だけに任せない方法を使えばいいのです。
周りの「普通」を借りる
自分の「普通」は自分一人でつくられるものではありません。周りの人が何をしているかにも、少しずつ影響されます。
家でスマホを見ている時間が長くなれば、それが日常になる。反対に、隣で誰かが問題を解き、英単語を覚え、間違えた問題をやり直していれば、勉強している状態が少しずつ普通になっていきます。
塾では、来た生徒が席に座り、それぞれの課題を始めます。分からなければ質問し、間違えれば解き直す。周りが勉強している中では、自分だけが勉強を始めるために、大きな決心をする必要はありません。
塾へ来る意味は、分からない問題を教わることだけではありません。勉強している人たちの中に、自分を置くことにもあります。
週2回以上の通塾を勧めるのも、教わる時間を増やすためだけではありません。勉強している環境に身を置く回数が増えれば、「勉強している自分」の方が、少しずつ普通になりやすいからです。
今の立ち位置を、定位置にしない
今の点数は、「現在の立ち位置」です。「これからも居続ける定位置」と決まったわけではありません。ただし、何も変えずに同じ毎日を続ければ、今の立ち位置が自分の普通になっていきます。
実際、中学校から高校に進学しても、同じ順位帯に落ち着いていく生徒をよく見ます。なので、春と夏の定期テストでなんとかしてあげたかった!という悔恨は毎年起こります。
中学生でも同じです。週に1回では学校の進度を追うことを優先するので、「定位置の変更」のための働きかけは、かけづらい。
自分一人の意志で変えるのが難しければ、勉強している人たちの「普通」を借りてください。その中で勉強する時間を重ねながら、「自分はこのくらいだ」と思う位置を、自信を、少しずつ上げていきましょう。

