「もう教わった」と「もうできる」の間で

わかりやすい授業を探す気持ちは、よくわかります。学校ではわからなかったことが、別の先生の説明で「ああ、そういうことか」となる。本人もうれしいでしょうし、親もほっとすると思います。わからないまま座っている時間が長かった子なら、なおさらです。
今は、そうした説明を動画でも見られます。苦手なところだけ選べるし、聞き逃したら戻れる。周りのペースを気にせず、何度でも見直せるのはありがたいことです。
ただ、わかりやすい授業ほど、その後に自分で解いてみたときの戸惑いが大きくなることもあるでしょう。
動画を閉じたら、手が止まる
画面の中ではあんなにすらすら進んでいたのに、動画を閉じると、最初の一行が書けない。「さっきはわかったんだけどな」と、また解説を開く。その繰り返しで勉強時間が終わってしまったら、本人には勉強した実感があるのに、自分で解く練習はあまりできていない、ということになります。テストで必要になるのは、自分で試行錯誤した経験です。
ここが、教える側として気になるところです。説明がわかった喜びを、そのまま「もうできるはず」にしてしまっていないか。
特に算数で困っている小学生。説明を聞くところまでは進んでいても、自分で解き方を使ってみる時間が足りないまま、次へ進んでいませんか?
解説を見ている間は、何に注目するかも、どの知識を使うかも、先生が選んで提示してくれています。一人で解くときには、その判断から自分でしなくてはいけません。
途中で迷うし、計算を間違えるし、選んだ解き方ではうまくいかないこともある。そこでやり直してみる経験が必要なのに、困るたびに説明へ戻っていたら、先生の解き方を見ている時間ばかりが増えてしまいます。
「自分でやってみたらできなかった」は、本人にとって面白くない出来事です。動画を見ているときのほうが、ずっと順調に勉強できた気がするでしょう。でも、一度も迷わず説明を聞き終えることと、迷いながらでも自分で解いてみることでは、経験している中身が違います。
練習している途中の間違いまで、「できない証拠」にしてほしくはありません。せっかく理解できたことを、自分で使えるようにしている最中なのですから。
教わった回数と、自分で解いた回数
一度習ったことが定着せずに忘れらてしまうと、「前にもやったでしょ」と言いたくなるのは仕方がない。解説を聞いたばかりなのに間違えると、「ちゃんと聞いていた?」と聞きたくもなるでしょう。大人の側は、教えたことを覚えていますから。
でも、教えた・理解した回数と、本人が自分で取り組んだ回数は同じではありません。説明は何度も受けているのに、自分で考えて、間違えて、直すところはほとんど経験していない。そういう勉強になっていないかを見たいのです。「もう教えた」「もうわかった」で済ませず、その後にどれだけ練習できたのかまで。
すぐ教えれば、その場は進むけれど
解けない時間は、本人も面白くありません。見守る大人も、待つのがしんどい。すぐ教えてしまえば、その場は進みます。
それでも、本人が考えるところまで、こちらで済ませてしまいたくありません。
途中まで書いた式を見ながら、どこでおかしくなったのかを一緒に探す。必要な助けは出して、そこからはもう一度本人に取り組んでもらう。そうやって解き直せた問題は、答えを教えてもらって丸をつけた問題とは違う経験になると思います。次に似た問題で迷ったとき、「前はここで間違えた」と思い出せるものを残していきたいのです。
今の勉強を楽にする、基礎の反復
算数で「難しい」と感じているなら、手前の基礎での反復が足りていないことも多いです。理解だけして、計算するたびに迷っていては、新しい問題の考え方にまで気が回りません。今の単元の説明を聞き直すより、前に習った計算を自分で繰り返し解く時間が必要なこともあります。
戻って練習するのは、本人には気が進まないかもしれません。それでも、そこで身についたものが、今の勉強を楽にしてくれます。
よい授業を受けさせたい、よい教材を使わせたい。その親の願いが、子ども自身の「前よりできるようになった」につながってほしいと思います。動画を見て納得した後の、なかなか進まないノートにも付き合いたい。自分で試して、間違えて、やり直している時間を、勉強がうまくいっていない時間として終わらせたくないのです。正解できた問題だけでなく、自分で考えて解き直した経験も、うちの塾で勉強したものとして持って帰ってほしいと思います。

