いちばん上の子が、安心して失敗できるように――第一子を育てる親へ

保護者と話していると、こんな言葉を聞くことがある。
「下の子は放っておいても大丈夫でした。でも、上の子は難しくて」
家庭教師や塾講師として30年、子どもたちを見てきた。上の子についてこう聞かされるたびに、本当にその子だけが難しかったのだろうかと思う。
最初の子を育てていた頃、親にも余裕がなかったのではないか。下の子には笑って済ませたことを、上の子には厳しく注意していなかったか。
上の子が難しかった理由を、その子の性格だけで片づけるのは違うように思う。
いま第一子を育てている親にも、すでに成人した第一子を持つ親にも、振り返ってほしいことがある。
親は、最初の子を育てながら子育てを覚える
最初の子が生まれたとき、親も親になったばかりだ。
いつ歩けば普通なのか。何歳で文字が読めればよいのか。どこまで手を貸し、いつまで待てばよいのか。初めてでは、加減がわからない。
少しでも遅れているように見えると心配になる。失敗しそうなら手を出したくなる。人に迷惑をかければ、「今のうちに直さなければ」と焦る。
どれも、子どものためを思ってしたことだろう。
しかし子どもからすれば、やることなすことに口を出されているようなものだ。
自分で靴を履こうとすれば、「左右が逆」。宿題を始めれば、「字が雑」。テストで九十点を取っても、「この一問は、どうして間違えたの」。
親は心配だから言う。子どもには、できなかったところばかり見られているように聞こえる。
親は、最初の子を育てながら子育てを覚えていく。その間、何度も口を出され、先回りされ、厳しく注意されるのは最初の子だ。
下の子を育てる頃には、親も変わっている
二人目、三人目を育てる頃になると、親も少し慣れてくる。
子どもは、言ってもすぐには動かない。成長の早さには差がある。一度や二度失敗しても、それで将来が決まるわけではない。親が少しくらい手を抜いても、子どもは育つ。
それがわかると、下の子が同じことをしても、「まあ、こんなものか」と待てる。
同じ親でも、上の子を育てていた頃と、下の子を育てる頃とでは違う。上の子のときには止めたことを、下の子にはやらせてみる。上の子には何度も言ったことを、下の子には一度言って様子を見る。
もちろん、どの家庭にも当てはまるわけではない。子どもの気質も、家族の事情もそれぞれ違う。発達特性や、学校での経験が関係している場合もある。
それでも私が見てきた中には、親が子育てに慣れていなかった頃に言われたことを、大きくなっても引きずっている第一子がいた。
「下の子は言わなくてもできた。上の子は何度言ってもできなかった」
親はそう振り返る。けれど実際には、何度も言われるうちに動けなくなった子もいた。
できないのではなく、失敗するのが怖い
宿題をなかなか始めない。間違いをひどく嫌がる。注意されると黙り込む。親が見ていると手が止まる。
こうした子は、わがまま、やる気がない、打たれ弱いと思われやすい。
だが、できないのではなく、できないところを親に見せるのが怖い場合もある。
宿題を始めれば、間違えるかもしれない。また何か言われるかもしれない。親をがっかりさせるかもしれない。それなら、初めからやらない。そのほうがましだと思ってしまう。
何を聞かれても黙る。追い詰められると、先に怒る。弟や妹に強く当たる。
反抗しているように見えても、実は不安で動けないのかもしれない。反抗だけを叱っていては、なぜ動けないのかがわからないままになる。
「ここまでできたね」だけで足りるのか
「早くして」ではなく、「ここまでできたね」と声をかける。できているところを先に認めれば、子どもが話を聞きやすくなるという。
たしかに、頭ごなしに叱るよりはよいだろう。言い方を変えただけで、動きやすくなる子もいる。
ただし、「ここまでできたね」の直後に、「じゃあ、早く続きをやろう」と言えば、子どもにはわかる。
子どもは、「認めてもらったのではない。続きをやらせるために言われただけだ」と受け取る。
言い方だけを覚えても足りない。親の思いどおりに動かそうとしていないか。できないところばかり見てこなかったか。大人の側がそこを考えなければ、言葉を変えても同じことを繰り返す。
悪気がなくても、つらかった記憶は残る
親は、子どもを苦しめようとして厳しくしたわけではない。
勉強で苦労してほしくない。人に迷惑をかけない子になってほしい。将来、困らない大人になってほしい。そう願っていたのだろう。
親に悪気はなかった。それでも、子どもはつらかったのかもしれない。片方を認めたからといって、もう片方を否定する必要はない。
子どもが昔の話を始めると、親は説明したくなる。
「あなたのためを思って言った」
「そんなに強く言ったつもりはない」
「弟や妹にも同じように言った」
親には親の言い分がある。しかし、ここで言い返せば、子どもは口を閉じる。
子どもが聞いてほしいのは、親の言い分ではない。自分があの頃どう感じていたのかだ。
親が覚えていなくても、子どもは覚えているかもしれない。「私は覚えていない」と「そんなことはなかった」は違う。
「そう感じていたんだね」
「あの頃は苦しかったんだね」
初めからうまく謝れなくても、子どもの話を否定せずに聞くことはできる。
親が喜ぶほうを選ぶ子、親が嫌がるほうを選ぶ子
私が見てきた家庭では、親が最初の子に多くを望んでいることがあった。
よい点を取れば喜ぶ。失敗すれば心配する。子どもは、そんな親の顔をよく見ている。
親を安心させようとする子は、自分が何をしたいかより、「どうすれば親が喜ぶか」を先に考えるようになる。
テストの点が悪かったことより、それを親に見せることのほうが怖い。部活をやめたいことより、親をがっかりさせることのほうが怖い。自分の希望を言うことより、家の空気が悪くなることのほうが怖い。
周りからは、まじめで、しっかりしていて、手のかからない子に見える。けれど本人は、親が喜ぶ答えを探すうちに、自分が何をしたいのかわからなくなっていく。
反対に、親が勧めるものを嫌がる子もいる。
「勉強しなさい」と言われるほど勉強しない。親が勧めるものほど避けたくなる。親に決められるくらいなら、反対のほうを選びたくなる。
本人が意識しているとは限らない。それでも、親が喜ぶほうを選ぶ子と同じように、親の反応を気にして決めているように見える。
一方は親が喜ぶほうを選び、もう一方は親が嫌がるほうを選ぶ。正反対に見えても、どちらも「自分はどうしたいのか」だけで決めているわけではない。
進路を決める年齢になって、「好きなものを選んでいい」と言われても困ってしまう。
親が喜ぶものを選べばよいのか。親が嫌がるものを選べば、自分らしいと言えるのか。その二つしか知らなければ、自分が本当に望んでいるものは、なかなか見つからない。
親を基準に決める癖は、大人になったからといって、すぐに抜けるものではない。
まず、言い返さずに聞く
子どもが昔のことを話したら、まず最後まで聞く。親の事情を説明するのは、そのあとでいい。
謝るのであれば、「いろいろ悪かった」で済ませず、何について謝るのかを伝える。
「お兄ちゃんだから我慢しなさいと、何度も言ったのは悪かった」
「あなたが何かを始める前に、いつも口を出していた」
「九十点を取っても、間違えた一問のことばかり言っていた」
具体的に話したほうが、何について謝っているのかは伝わりやすい。
そして、返事を急がせない。謝ったから、すぐに許してもらえるとは限らない。それまで何度も言い返してきた親が、一度謝っただけで信用されるとも限らない。
言い返さずに聞く。前のように先回りしない。そうした接し方を続けるうちに、親の本気も少しずつ伝わっていくのだと思う。
第一子でいなくてもよい場所
塾では、家でしっかりしている第一子が、年齢より幼く見えることがある。
同じことを何度も聞く。「できない」と言う。勉強とは関係のない話をいつまでも続ける。手を止めて、こちらの様子を見る。
甘えているようにも見える。
だが、家では「しっかりした上の子」でいなければならない。その役を、塾にいる間だけ休んでいるように見えるときがある。
弟や妹の見本にならなくていい。親を安心させなくていい。わからないときには、わからないと言っていい。
塾で勉強を教えるだけなら、答えと解き方を伝えれば済む。
失敗を怖がっている子には、それだけでは足りない。間違えても叱られなかった。わからないと言っても見放されなかった。そんな時間を何度も過ごすうちに、自分から手を動かすようになった子もいる。
もちろん、第一子だから必ず苦しむとは言えない。上の子らしく見える行動が、すべて親の育て方によるとも限らない。
それでも、「この子はもともと難しい」と決める前に、上の子を育てていた頃の自分に余裕があったか、親にも考えてほしい。
不安になるあまり、細かなことまで口を出していなかったか。失敗する前に、先回りして止めていなかったか。下の子には許したことを、上の子にだけ厳しく言っていなかったか。
今から「早くして」を「ここまでできたね」に変えるのもよい。
その前に、子どもがあの頃どう感じていたのかを聞いてほしい。言い返さずに聞く。すぐに動かそうとせず、待つ。
いちばん上の子が安心して失敗できるように、まず親が話を聞くところから始めてみてはどうだろう。

